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2011年03月16日

皆無事です。

3月11日(金)に発生した三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、
被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。

そして命がけで原発を管理、修理している東電の技術者、自衛官の皆様。
自身も被災している身でありながら文字通り、心身を削り働いている多くの方々。
被災した全ての方々の一日も早い復旧復興を、
全てにおいての安らぎの時が訪れる事を祈るばかりです。

日記代わりに当日の詳細を記録しておこうと思います。
長文になりますのでご了承下さい。

埼玉北部は相当長い時間揺れました。
自分の人生の中で間違いなく最大の揺れでした。

自分は地震発生時、病院で診察中でした。
2年前に手術した盲腸の傷周辺が痛み出し
仕事も落ち着いていたので午後の診察を受けに行きました。

最初の揺れは大きな横揺れでしたが、特別大変だとは思いませんでした。
数年前の新潟地震の時と同等の印象で
「他の地域だな」と考えていました。
普段なら段々収まるのですが、突然さらに激しい揺れがドンと来ました。
あちらこちらから悲鳴が聞こえ、パソコンのディスプレイが倒れ、
窓の外の落下物が目に入りました。
掴まらないと立っていられません。
医者が
「この病院は耐震設計ですから大丈夫。」
と言いつつも、椅子が前後左右に激しく動き机を掴んでいないと
その場に留まれないほどの揺れが数十秒続きました。
「これは関東に来たな」
と感じ東京にいる友人の事がちらりと頭をよぎりました。
その後も暫く揺れ続け、ようやく揺れが収まりました。

その後診察を続行し、レントゲンを撮るように指示した医者の感覚も
地震が他地方で起きたと感じた自分の感覚と同等だった様に思われます。
診察室から出ると停電し、20数人いた患者さんが誰もいなくなり
レントゲン室と大腸検査室の扉が開き医者と技師が残っていました。
大腸検査中の患者さんは身動きがとれずそのままベッドに横たわっていました。

ロビーでは数人の事務の方と看護士さんが右往左往し、患者さんは皆外に避難していました。
患者さんの中に知った顔を見つけ話しかけると震源は三陸沖だと教えてくれました。
その方は先月まで仙台に単身赴任していたのでまさに九死に一生。
仙台とこちらの会社に電話したそうですが既に繋がらなかったそうです。

子供達の下校時刻だったので家や妻の携帯にかけてみましたが勿論繋がりません。
帰っていいものか思案していると、自分を診察した医者が自分を探している様子なので
声をかけてみると
「もう一度診察するので中に入って下さい。」
と病院内に入って再度診察することに。
「レントゲンは今日撮れないから薬4日分出しときますから」
とのこと。
「薬局凄い事になってますから出るか解りませんけど。」
と、本気なんだか冗談なのかもう判断できません。

また外に出てどうするか知り合いと思案していたら
看護士が後日来ればいいと言うので一目散に帰りました。
田舎なもんで帰宅経路には信号は4つ。
小さな交差点は渡れたのですが国道の交差点はとても通行できる状態ではなく
国道を走る車が交差点を減速することも無く物凄い速度で通行しています。
真っ直ぐ行けば小学校なのですが諦めて
農道に入り直進で家に帰れるルートに変更しました。
途中、末娘の同級生の親子が自宅前で不安がっている姿を目にし
末娘が帰宅していることを確認しました。
家の近所の大きな交差点には地震発生から30、40分経っているせいで警察官が交通整理をしていた為
少々渋滞していましたが普段通り横断出来ました。

家に帰ると妻の姿は無く、学校に走って向かったそうです。
自分はてっきり末娘を連れて妻の車で行ったとばかり思っていたのですが
帰ってきた妻は自転車で行けば良かったと嘆く事になります...。
家には大きなダメージは見た感じありません。
液晶テレビが倒れていると覚悟していたのですが
全て無事でした。
倒れそうな本棚は固定していたのですが
石膏ボードに打ったねじは全てすっ飛んでいました。

ほっと胸をなでおろしたところにいないはずの末娘の母を呼ぶ声が...。
どこにいるのかと探して見ると和室の大きなちゃぶ台の下に潜り込んで泣いていました。
まだ余震が続いていたので怖いらしく、家の中に居たくないと叫びます。
停電しているのでTVは点かず情報が入りません。

古いラジカセを引っ張り出しましたが単一電池がありません。
義父が近所のコンビニに買いに走りました。(自転車)
末娘が泣き叫ぶのでどうにかしなきゃと思い、自分の車の中に移動させ
カーラジオで情報を得ます。
J-waveからお台場のテレコムセンター辺りから火の手が見えると言う事で
始めて事の重大さを認識します。

暫くすると子供と妻が帰宅し子供達は車の中にすぐ入ってしまいました。
次男は学校から同学年数人と下校し、数十メートル歩いたところで
地震に合い、慌てて学校に引き返したそうで、駐車場に停めてあった車が飛び跳ねていた
と涙を流した後の顔を引きつらせて話していました。

エンジンをつけてラジオを聴いていましたがガソリンメーターが点滅し始めます。
妻に指摘されエンジンオフ。
子供が不安がるのでラジオは流しておきました。

また妻に日があるうちに、明かりと暖の確保をしろと指摘され
夏に使ったキャンプ道具を引っ張り出しに物置へ。
LEDランタンが二つ、懐中電灯が数本、その中には非常ラジオ付きもあります。
暖は使い捨てカイロが一箱、夏用の寝袋、カセットガスコンロ、最悪炭もありました。
カセットガスが全て使いかけで少々不安だったのですが
着火用のガスバーナーのボンベが半分位あったのでコンロに使いまわしました。

自分も暖かい服に着替え、次は食料です。
全く無い訳ではありませんでしたが主食が用意出来ません。
お手軽キャンプの為、ご飯の炊き方が解りません。
妻がコンビニに走ります。(自転車)

先に行った義父は無事電池を確保し帰宅。
コンビニに着いた妻は、入って早々近所の難有り奥さんに
「電池なら無いよ!!!」と言われたそうで
まさかうちで買占めた訳ではないのですが
「もう買いました。」
とも言えず、
「違いますカップラーメン買いに来ました。」
と、宣言してお店に入ったそうです。

すると、意外に皆カップラーメンという選択肢はまだ考えておらず
弁当やパン類は既に品薄状態だったのですが
インスタント食品はまだ沢山あったらしいのです。
しかし入店時、宣言して入ってしまった為、皆殺到したということでした。

その頃自分はラジオで被害状況を聞いていたのですが
いまいちぴんと来ません。

やはり映像で見ないと事の重大さが中々理解できないのです。
何か映像を見れないかと暫く考えた結果、相当な時間の後
携帯のワンセグに辿り着きました。(遅)
埼玉北部は受信状態が悪く家の中ではワンセグは見れない為全く思いつきませんでした。

小さな画面から見る東京の映像は、震源地の相当な被害を予感させるのに十分な物でした。
都市部のほうがこちらより揺れが激しかった様に見えました。

停電は復旧することなく日没を迎えました。


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posted by 親父 at 00:30 | 埼玉 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 親父の日記
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